マイケル・ドゥーハン

偉大なバイクレーサー「マイケル・ドゥーハン」

マイケル・ドゥーハンが覇王、偉大なバイクレーサーといわれた要因はいくつもあります。
高い技術を持ったレーサーたちのトップに君臨し続けたことも一つの要因ですが、マイケル・ドゥーハンは精神的にも肉体的にもレーサーのお手本といえるべき人です。

1994年から1998年、実に5年間、ロードレース世界選手権500㏄クラスで優勝し、絶対王者と呼ばれました。
子供の頃はダートバイク、16歳までダートタックに乗っていた彼は、レースキャリア初期、それほど知られたライダーではありませんでした。

しかし16歳までダートトラックに乗っていた8年間で、ライディングの基本を学んだと話しています。
スロットルコントロールとライディングポジションがレースにどれほど大切か、子供のうちに学んだことが彼のライダー人生の中で大きなことだったのです。

マイケル・ドゥーハンはどんな人?

これからだというときに大怪我をして、そのシーズンの復帰は無理かな?と思われたマイケル・ドゥーハンですが、見事、すぐに復帰し、レースに参戦しました。
子供のころから、レーシングバイクではありませんがバイクに乗る機会があったこと、またレース用のバイクではなく、ダートバイクやダートトラックに乗っていたことで、ライダーの基礎を学んだという、稀有な経験を持っているライダーです。

レースの中で転倒すると、どうするべきだったのか、何をするべきではなかったのか?考えると話しています。
バイクに対して、またレースに対してひたむきさやまじめさを持っている人なのでしょう。

マイケル・ドゥーハンの成績をみてみよう

マイケル(ミック)・ドゥーハン(Michael “Mick” Doohan)は1965年6月4日、オーストラリア・クイーンズランド州のブリスベンで生まれました。
1987年TT-F1(世界耐久選手権 ツーリスト・トロフィー・フォーミュラ1)に出場し3位を獲得し注目を集めます。

1988年、スーパーバイク世界選手権日本グランプリレース2で優勝、1989年ロスマンズ・ホンダチームに加入してから本格的にロードレース世界選手権(WGP)500ccクラスに参戦し始めました。
WGPに参戦してからたった2年、第14戦ハンガリーグランプリで優勝、1992年、当時ビックバンエンジンと呼ばれた不等間隔位相同爆方式のエンジンを搭載したNSR500で開幕から4連勝を飾り、これを皮切りにランキング1位に名乗り出ました。

マイケル・ドゥーハンは大怪我を負った

飛ぶ鳥を落とす勢いで躍進していたマイケル・ドゥーハンですが、1992年のWGP第8線オランダグランプリ予選走行で大けがを負います。
一時は右足を切断か?といわれたほどの大怪我でしたが、後遺症に苦しみつつ最終戦には登場、翌年にはけがを乗り越えイタリアGP(第9戦)で優勝するという快挙も成し遂げている方です。
その後は、WGPで名をあげ、絶対王者と呼ばれるほどになりました。