ケビン・シュワンツ
ケビン・シュワンツ(Kevin Schwantz)は、ウェイン・レイニー(Wayne Rainey)とのライバル関係で知られ、世界選手権の優勝やGP通算25勝といった優勝実績を持つレジェンドライダー。
優勝か転倒かと評されるほどの攻めるレーススタイルで圧倒的な人気があり、限界ギリギリの速さを求めるスタンスと強さを両立したライダーです。
彼のキャリアスタートからキャリアを終えるまでを語ります。
ケビン・シュワンツのキャリア
両親がバイクショップを経営していたケビン・シュワンツは、4歳の頃にバイクの乗り方を学びます。父や叔父と同じように、トライアルライダーとしてバイク競技のキャリアをスタートさせて、モトクロスライダーに転身。地域トップのライダーとして知られながらも、1983年のヒューストン・スーパークラス予選で大きな転倒を起こしてしまい、モトクロス競技を辞めることにします。
その後、ヨシムラ・スズキ・スーパーバイクチームから、テストライドのオファーがあり、契約を交わします。初参戦となった、1985年のウィロー・スプリングス・AMAナショナルで優勝。1986年のデイトナ200も2位となり、ロードレーサーとしてのキャリアが本格化していきます。
そして、1987年からのスーパーバイク選手権では、ウェイン・レイニーとのライバル関係がスタート。最終的にウェイン・レイニーが全米選手権を優勝しますが、シュワンツも6戦中5勝の好成績でシーズンを終えています。
この2人の競争は、その後もヨーロッパ中のサーキットで繰り広げられ、見ごたえのあるレースとしてファンを喜ばせていました。特に語り草になっているのは、1991年のドイツGPで最終ラップにウェイン・レイニーを、究極ともいえるブレーキングで豪快に追い抜いたシーン。優勝か転倒か、まさにその代名詞とも言えるレースです。解説も観客も沸きに沸いたシーンですので、ぜひDVDなどで見てほしいほど。
その後、1993年のイタリアGPウェイン・レイニーがクラッシュにより現役引退となり、2位だったシュワンツが逆転してWGP500ccチャンピオンを獲得。ただ、「レイニーの怪我が治るならタイトルはいらない」というコメントを残しており、その複雑な心境がうかがえます。
そしてシュワンツも長年の負傷などから1995年に引退。1980年代後半から1990年代前半に名勝負を繰り広げたレジェンド達の時代は、こうして終わりを告げたのです。
引退後
アラバマ州バーミンガムで一般的なライダーを対象とした、ライディングスクールやサーキット・オブ・ジ・アメリカズ(Circuit of the Americas)の設計に関わっています。
また、2013年には鈴鹿8時間耐久レースへの参戦も行い、決勝レースではライバルだったウェイン・レイニーのレプリカヘルメットを被って走るシーンが感動を呼びました。