ジョン・コシンスキー

ジョン・コシンスキーの経歴

ジョン・コシンスキーは、1968年生まれのアメリカのライダーです。
アメリカのライダーはほぼすべてそうであるように、彼も幼少のころからダートレースを始めています。
10代ではAMAにて250ccクラスで活躍しました。
1988年から全日本ロードレース選手権とロードレース世界選手権にスポット参戦し、ケニー・ロバーツの愛弟子と呼ばれるほどの驚異的なスピードを見せます。

その後1990年にロードレース世界選手権にフルエントリーすると、7勝という圧倒的な成績でチャンピオンに輝きます。
翌年は500ccクラスに変更しましたが、そこでも表彰台に4回上り、優勝も果たしました。
このように驚異的な活躍を続けたジョン・コシンスキーでしたが、秘蔵っ子と呼ばれるほど可愛がられていたケニー・ロバーツとの関係に亀裂が入ります。
その結果、成績が低迷したこともあって1992年に放出されてしまいました。

1993年はラッキーストライクスズキチームで心機一転の再出発を遂げます。
250ccクラスでロードレース世界選手権に参戦しますが、オランダGPの後、開発の遅さに痺れを切らした彼はマシンを破壊、表彰式も不参加という態度に出てしまいました。
その結果、シーズンの途中で解雇されてしまいます。

行き場を失った彼を受け入れたのは、カジバでした。
500ccクラスにエントリーしてアメリカGPでは1勝を上げます。
翌年もカジバの一員として上位を争うほどの快走を見せましたが、カジバ自体が今度はGPから撤退してしまい、またしてもコシンスキーは行き場を失うのでした。

このように、彼は実力がありながらうまくいかない状況が続きます。
スーパーバイク世界選手権でチャンピオンに輝いたり、ロードレース世界選手権に復帰したりとその後も一定の成績を残したのですが、以前ほどの速さは蘇らなかったのです。
結局、1999年に捨て台詞とともにコシンスキーは引退してしまいました。

ジョン・コシンスキーの人物像

ジョン・コシンスキーは極端な潔癖症として知られています。
そのため、シャンパンファイトも避けていたほどです。
ケビン・シュワンツにシャンパンを浴びせられたときは、激昂して彼に殴りかかったものの、返り討ちに遭ってしまいました。

ジョン・コシンスキーのおもな成績

1990年のロードレース世界選手権では250ccクラスでチャンピオンに輝きました。
1991年と1992年は500ccクラスで1勝ずつ上げ、それぞれランキング4位と3位でした。
1994年も500ccクラスでロードレース世界選手権に参戦し、1勝を上げランキング3位の成績を残します。

スーパーバイク世界選手権に転向後の1997年にはチャンピオンに輝きました。
1998年にロードレース世界選手権に復帰するも、500ccクラスで12位、翌年の8位を最後に引退します。