ホルヘ・ロレンソ
ホルヘ・ロレンソの経歴・・小さい頃から有名だった
ホルヘ・ロレンソは1987年5月、スペインのバレアレス諸島 パルマ・デ・マヨルカで生まれました。
お父さんがメカニックの仕事をしていたこともあり、3歳の時手作りのミニバイクをもらったことでミニクロスレースに出場、9歳でミニクロスのほかトライアルやジュニアのモトクロスでたくさんのタイトルを受賞しています。
13歳にはスペイン連盟から特別許可を得ることができ、国内選手権125㏄クラスに参戦するなど小さい頃から注目を集めていたライダーです。
15歳になり協議規定の出場最低年齢WGP125ccクラスに参戦し、第3線スペインGPにおいて、15歳と1日という史上最年少でデビューを飾っています。
小さい頃から天才と呼ばれたホルヘ・ロレンソは、豪快なエピソードが多数残っています。
ホルヘ・ロレンソの戦績は小さい頃から秀でていた
2003年にはブラジルGPで初優勝し、2004年には年間ランキング4位を獲得しています。
2005年、250㏄の有力チームであるフォルトゥナ・ホンダへ移籍、ランキング5位という成績を残しています。
2006年はアプリリアワークスチームより参戦し、開幕戦から8勝、19歳の時には世界チャンピオンとなりました。
ヤマハと契約していた
MotoGpでは、2008年からヤマハと契約し、デビュー戦カタールGPでポールポジションを取ると決勝でも2位と活躍、第3戦目でMotoGpクラス初勝利となります。
ライバルといわれるペドロサから表彰台に乗った一番若いライダーの称号を奪取しますが、2008年の中国グランプリで転倒、両足首骨折の重傷を負いました。
しかし彼は決勝に強行出場し、なんと4位という偉業を成し遂げています。
ランキングを見てもそのすごさがわかります。
2006年から2017年にかけては最も悪い時ですら3位ですから、ライダーの中でも輝かしい成績を残している人です。
攻撃的なライディングが彼の持ち味であり特徴でもありますが、その姿勢が時にトラブルを生むこともありました。
ホルソ・ロレンソはトラブルでも語られている
元々攻撃的なライディングが特徴であるホルソ・ロレンソですが、2005年のマレーシアGPでは出場停止にもなっています。
MotoGPではチームメイトとバレンティーノ・ロッシと競い合っていましたが、そこでもあまりに攻撃的でライダー達からも苦言を受けました。
シモンチェリやペドロサ、またアレックス・デ・アンジェリスがリタイアしたことなどをあげ、トラブルになったことも知られています。
もちろんホルソ・ロレンソは命を張ってレースに参加しているのであり、攻撃的なスタイルこそ彼の持ち味ですから仕方ないのですが、一緒に走るライダーにとっては危険そのものという存在でした。
同国のライダーであるペドロサはいいライバルでしたが、2005年ドイツGPで接触したことがきっかけで諍いが起こり、2008年シーズン、表彰台でお互いを無視するなど、確執は周囲に知れたものとなっていました。
スペイン国王フアン・カルロス1世が表彰式でプレゼンターをした際、ホルソ・ロレンソとペドロサの間に入り、ほぼ無理やり握手をさせたという話も語り草です。