フレディー・スペンサー

フレディー・スペンサーの経歴

フレディー・スペンサーは、1961年にアメリカ・ルイジアナ州で生まれたレーシングライダーです。
フレディー・スペンサーは幼い時から家族や周りの影響もあってバイクに親しんでいて、ジュニア向けのダートトラックレースなどにも多数出ていました。
その後、1978年にはロードレースにてデビューを果たしプロレーサーとなります。

さまざまなチームとの契約をしていて、モトグッツィから始まりヤマハやカワサキ、USホンダのレーサーとして活躍してきます。
1980年にはUSホンダのチームに入って、すぐに鈴鹿8時間耐久レースに参戦するようになり、世界グランプリにもデビューしています。
1982年にはホンダワークによって、世界GPにフル参戦となり、その後も数々の好成績を残していますが、右手の腱鞘炎を患って一時戦線から離脱することになります。
1989年には復帰を果たし、勝利の記録を再び付けるようになりますが、1993年には世界GPから引退しました。

フレディー・スペンサーの人物像

フレディー・スペンサーは、いわゆる王道とも言えるバイクテクニックを用いるというよりも、オリジナリティーあふれる走行をすることで知られています。
もともとダートトラックでバイクを覚えたということもあり、鋭いマシンコントロールが持ち味で、他のライダーとは異なる挙動を見せてくれます。
こうした個性を持つライダーとして人気を集めたのです。

また、フレディー・スペンサーは宗教心の篤い人物で、私生活もレーサーとしての生活も節制を大事にしてきました。
飲酒や喫煙を避け、強い信念を持って日々の生活を歩んでいる人物としても知られており、そんな精神的な安定性も彼の大きな特徴と言えるでしょう。
さまざまなトラブルにもめげることなくチャレンジを続ける姿勢は、多くのレーサーにとっての手本ともなってきました。

フレディー・スペンサーの主な成績

フレディー・スペンサーは常に安定した成績を収め続けてきたという点で、非常に安定したレーサーです。
世界GPでは1983年にホンダのNS500に乗ってランキング1位を獲っており、前年は3位、翌年は4位と上位に食い込んでいます。
そして1985年には、ロスマンズ・ホンダで250ccクラスと500ccクラスの両方で1位となっています。
鈴鹿の8時間耐久レースでは、1992年に決勝4位という好成績を残しています。

他にも世界GPにおいて20歳5カ月で初めてPPを取り、20歳7カ月で初勝利を奪ったという記録は、当時では最年少記録となっています。
こうした戦績を残してきたフレディー・スペンサーは、常に世界の注目を集めるまさに名レーサーだったのです。