エディ・ローソン
異なる3メーカーで31勝を挙げた「エディ・ローソン」
エディ・ローソンは、1958年3月11日にカリフォルニア州ロサンゼルス近郊の都市アップランドで生まれました。
祖父はドイツ系で母はイタリア系、父はインディアンと種族がバラバラでした。
また、妹が一人おり、子供時代は家族で砂漠へキャンプに行くなど仲は良かったようです。
その時から、自転車や80CCのバイクで走りまわるなど、幼い頃からバイクに関わっていました。
7歳になると、ミニバイクレースに参戦して、12歳でダートトラックにデビューします。
そして、1年後にはイタルジェット50にて、一家でレースを楽しみました。
その後、動力付きの乗り物を制御するモータースポーツを好み、スピードボートやミッション付きレーシングカートやジェットスキーに乗るようになります。
感情的な走りはしないが、競争心は人一倍
エディ・ローソンのバイクの制御に関しては、論理的な思考に基づいて対応しており、感情的な走りはしていません。
本人が感情的な走り自体良くないと考えているようで、常に安定性を好んでレースに挑んでいます。
しかし、冷静でありながらも競争心は人一倍強く、世界チャンピオンを生み出すきっかけとなりました。
AMAスーパーバイクに参戦
エディ・ローソンは1978年にAMAエキスパート・ライセンスを取得したことをきっかけに、1980年ロードレースに転向します。
カワサキと契約したこともあり、AMA250ccGPへと参戦するのです。
そして、1981年にはドイツグランプリでGP250ccクラスにデビューして、ネイションズグランプリ、フランスグランプリと3戦に出場しています。
1981年には、スーパーバイク王となり、カワサキから記念として、「ローソンレプリカ(Z1000R)」をもらっています。
GPに参戦
1983年になると、GP500ccクラスに参戦して1984年にはライバルのスペンサーのタイトル防衛を阻止して、初のチャンピオンに輝いています。
そして、1989年にはロスマンズ・カネモト・ホンダ・チーに電撃移籍して、初年度のチャンピオンになりました。
1990年に再びヤマハに移籍した後は、オランダグランプリでランキング7位の成績を残しています。
1991年になるとカジバ・チームに移籍して、後2年で引退すると発言しつつもハンガリーグランプリに参加します。
宣言した通り、カジバ・チームに勝利をもたらし、その後引退することになるのです。
引退後は、アメリカでインディ・ライツにスポットで参加します。
そして、1994年にはフル参加してランキング4位、1996年にはCARTに参戦しています。
引退後も精力的な活動を見せており、ファンのため自分のため自身のできる限りの力で成績を残し続けることになりました。
これまで数々の好成績を残しながらも、まだまだ人気が衰えない素晴らしい方です。