青木治親
青木三兄弟の1人!青木治親(あおき はるちか)の経歴
青木宣篤、拓磨とともに青木三兄弟として、ロードレース界で知名度の高い青木治親は、群馬県の現渋川市出身のライダーです。
1996年、ロードレース世界選手権「WGP」125㏄クラスで優勝を飾り、オートレース界でも活躍しています。
1982年初めてポケバイに乗り翌年ポケバイレースに参加、1986年からはミニバイクレースにも参戦しました。
1992年には藤原克昭とタッグを組み鈴鹿4時間耐久ロードレースで優勝、1993年には国際A級特別昇格を果たし、ロードレース世界選手権グランプリ125㏄クラスに参戦しランキング12位となります。
125ccで連続優勝
1995年、1996年、ロードレース世界選手権グランプリ125㏄で連続優勝しその名をとどろかせました。
その後もロードレース世界選手権グランプリ、鈴鹿8時間耐久ロードレースなどに参戦しつつ、オートレースにも参戦します。
オートレースにおいても通算優勝回数15回を数え、最優秀新人選手賞、日刊三賞・敢闘賞、日本プロスポーツ大賞・新人賞など受賞、2011年にはGI共同通信社杯プレミアムカップで優勝し、オートレース界でも輝かしい戦績を残しているライダーなのです。
青木治親の人物像を語れば兄弟の話は欠かせない
長男である信篤は元ロードレース世界選手権 GP500クラスのライダーであり、今もMotoGPでスズキのテストライダーをしています。
青木治親は現オートレーサー、次男の拓磨もGP125㏄タイトル獲得者です。
しかし1998年、次男の拓磨がテスト走行中に転倒、下半身不随という大きな障害を負いバイクに乗れなくなってしまいました。
下半身不随になった
下半身不随となりバイクに乗ることはできなくなりましたが、四輪に参戦しています。
そんな不屈の精神の兄を持つ青木治親は、障害を持っていてもバイクの乗りたいと夢を追う全ての人を後押ししたいと、一般社団法人SSP サイドスタンドプロジェクトを発足しました。
世界ではこうした障害を持った人のモータースポーツへの取り組みは以前から行われていましたが、日本ではほぼないという状態での発足です。
このプロジェクトの一環でもあり、青木治親ら兄弟の想いをのせ2019年、鈴鹿8時間耐久ロードレースにおいて、拓磨はホンダCBR1000RRでデモランを行うことができました。
さらに、ツインリンクもてぎでMotoGpマシンレプリカRC213V-Sに乗り、3兄弟そろって走ったのは26年ぶりで感無量だったと伝えられています。
ツインリンクもてぎやドルなスポーツなどの関係機関に協力を求め、拓磨が生涯を持っていても乗ることができるバイクができたことで実現した3兄弟の競演です。
青木治親は兄弟とともに、小さい頃からバイクに乗る環境があり、ずっとバイクとともにありました。
大人になっても兄弟を含めてずっとバイク小僧なのでしょう。