岡田 忠之
岡田 忠之の経歴
岡田 忠之は茨城県水海道市出身のロードレーサーで、1967年に生まれ、高校を卒業してから本格的にロードレースの世界に入ってきました。
筑波サーキットでコースマーシャルの仕事をしながらレースに参戦していて、経験を積み重ねてきました。
その後1988年になって国際A級となることができ、全日本ロードレース選手権のGP250クラスに出るようになります。
すぐにその実力が発揮されて、1989年にはホンダ・キャビンレーシングに入ることができます。
このチームはホンダの中のサテライトサイトワークスで、ワークスマシンを提供することができるため、岡田 忠之は新しいワークスマシンで勝利の機会を得ます。
その後、1993年には世界グランプリについに参戦することになります。
1995年には鈴鹿8時間耐久レースに出て好成績を収めるなど、徐々に強さを見せるようになってきます。
実力を伸ばす過程でGP500クラスに入り、レプソル・ホンダからデビューを果たします。
世界GPから離脱してからも、スーパーバイク選手権に入るなど、常にレースの世界で生きてきて活躍を見せてくれるレーサーでした。
レースの世界を引退してからはMotoGPの放送解説をしたり、みずから「イデミツ・ホンダ・チーム・アジア」を立ち上げるなど、監督としての務めも果たしています。
岡田 忠之の人物像
岡田 忠之は、レーサー時代にライバルとの激しい勝負を演じてきたことで有名です。
たとえば、1992年は全日本GPの4連覇が期待される年でしたが、ライバルとのデッドヒートを繰り広げる年でもありました。
鈴鹿では史上初めての写真判定でも決着が着かずに同着優勝となるなど、ファンを興奮させるレース展開を繰り広げてきました。
このように、粘り強く勝利に貪欲な姿勢は岡田 忠之に多くのファンが魅了される理由となっています。
ライバルとの闘いを楽しみにしているファンが多い一方で、彼自身はレーサー同士の絆をとても大事にする人でもあります。
かつてのライバルとタッグを組んでレースに出てくることも珍しくなく、仲間と良い関係を築きながら切磋琢磨していく様子がうかがい知れます。
岡田 忠之の主な成績
ロードレース選手権の総合成績としては、6つの勝利を重ね表彰台には36回も上っています。
PPは7回獲っていて、総ポイントは1,250となり、日本人ライダーとしてまさに記録に残る好成績を収めた選手なのです。
全日本では度々チャンピオンも獲っていて、1989年はGP250チャンピオンとなり、3連覇を果たしています。
世界選手権ではチャンピオン経験こそないものの、1997年にはGP500でランキング2位となっています。