片山 敬済

1977年、日本人初となる350ccでのWGP優勝者が片山敬済です。
16歳でバイクの免許を取得し、F1ドライバーを目指していたところで、2輪競技から経験を積むべく、20歳からレースのキャリアをスタートさせます。様々なレジェンドライダーの中でもキャリアスタートそのものは、どちらかというと遅い方かもしれません。しかし、その足跡は、日本のライダー史でも輝く偉業です。
今回は、他とはまた一味違う挑戦を続けたレジェンドライダーについて語ります。
片山敬済のキャリア
1971年にレースデビューを果たし、ノービス250・ジュニア251cc以上・エキスパートジュニア・セニアクラスと好成績を残しながらキャリアアップを続けていく片山敬済。そして、1976年にはWGPの参戦となります。
このWGP参戦は、許可は得ていたものの契約していたヤマハのサポートは最低限でしか受けられず、マシンの整備や調整を自分で行いながら、1人で転戦する状況でした。ヤマハ現地法人の契約ライダーのサポートなども受けながらWGPのキャリアを積んでいきます。
そして、第8戦のスウェーデンGPで初優勝を飾り、トラブルやアクシデントもありながら1974年のシーズンを終えました。
苦難を乗り越え偉業を達成
1975年は国内レースをメインに参戦し、世界を再び目指す計画を練っていましたが、石油ショックの影響でレース部門縮小を行うヤマハから契約解除。新たなスポンサーを見つけたものの、資金面やスタッフ面で苦労しながらも1976年のWGPに参戦するようになります。
片山敬済のこの時期は、さまざまな面で苦労がありながらも参戦を続ける挑戦の時期です。その経験もあり、1977年には信頼できるメカニックと新しいスポンサーを見つけ、見事にWGP350ccクラスのチャンピオンという日本人初の快挙を達成します。
シーズン13戦中、5回の優勝。11戦目のフィンランドGPで優勝した段階で優勝が確定するという圧倒的な成績です。ここまでの苦労が実った瞬間と言えるでしょう。
その後もさまざまな形でレースに参加しながらも、1985年にWGPからの引退となりました。レースでいくつもの怪我を負いながらも、挑戦と実績を残し続けた偉大なるレジェンドライダーです。
特に契約などは行っていても、1977年はプライベーター(自動車メーカーが運営しない独立系レーシングチーム)と言っても差支えがなく、その中でもチャンピオンになったのはとてつもない偉業といえます。
片山敬済のその後
その後は自身のチームを率いたり、さまざまな事業を行ったりという活躍をしています。近年らライダーズブランドを立ち上げ、オートバイ業界の活性化を目指しているそうです。