加藤 大治郎
2003年4月20日に夭逝したライダー、加藤大治郎は日本のレース史に残るチャンピオンの一人です。
幼少期から才能を示し、世界屈指のライダーへの成長、そして事故。時が流れても、今なお語り継ぎたい偉大なるライダー「大ちゃん」について今回は語ります。
加藤大治郎のキャリア
加藤大治郎は、両親から3歳の誕生日にポケットバイクをプレゼントされ、サーキットへ通うように。5歳になった頃には、レースへのデビューも果たし、レースキャリアをスタートさせます。
埼玉県荒川土手にあったコースで走っている頃から、将来世界を取ると言われるほど才能の煌めきを見せていました。大ちゃんとの愛称で呼ばれ、周囲からの期待を受けていた彼は、期待を裏切らないキャリアを積んでいきます。
1994年には、国際A旧licenseを取得し、全日本ロードレース選手権(250cc)に参戦。1997年には、HRC(ホンダ・レーシング)との契約を行い、全日本ロードレース選手権のシリーズチャンピオンとなります。また、WGP日本グランプリ(250cc)でも初優勝し、その名は一層知れ渡っていきます。
2000年は、鈴鹿8時間耐久レース優勝やWGPフル参戦とさらに活躍の場を広げ、2001年にはWGP年間最多勝となる11勝を挙げて、WGPの250ccクラスチャンピオンとその立ち位置を確固たるものにしたのです。モータースポーツ界で、2人目のスポーツ功労者として顕彰されたという出来事もありました。
最高峰クラスへの参戦と事故
キャリアを積み、ステップアップした加藤大治郎は、2002年よりMotoGPクラスに参戦。マシンの変化もあり、優勝はできなかったものの、マシンパワーで劣るマシンでの好成績も残しながらシーズンを終えます。
パワーがあるMotoGPのマシンを操るために、オフシーズンに肉体改造を行って迎えた2003年。シーズン開幕戦に鈴鹿で行われた日本グランプリで悲劇は起きます。決勝レースの3週目、マシンのコントロールを失った加藤大治郎は転倒し、コースサイドのクラッシュパッドに激突。
事故から2週間ほど経った4月20日未明、偉大なるライダーはこの世を去りました。
2003年10月4日、日本人初となるMotoGPの殿堂入りに選ばれ、トレードマークだった74は、MotoGPクラスの永久欠番になり、後世にその足跡を残しています。
その凄さ、その速さは永遠に語りつがれる伝説です。