険しい雪山の画像

日本のレジェンドである高橋国光は、1950年代後半からライダーとして世界のグランプリで活躍し、のちにカーレースでも活躍したレジェンドです。

二輪と四輪合わせて489レースに参加し、数々の優勝実績がある日本のレジェンド。今回は高橋国光のキャリアや実績を語ります。

高橋国光のキャリア

1958年、18歳に参戦した第1回全日本クラブマンレース・ジュニア(350cc)クラスに参戦して初優勝。ジュニアクラスよりも排気量が高いセニアクラス(350cc以上)よりも速いタイムでの優勝は、優れた技術ゆえと言えるでしょう。

翌年の1959年では、セニアクラスで参加し、こちらも優勝しています。第3回浅間火山レースも2位を獲得するなど、10代にして一線級のライダーとして名を馳せ、1960年からはホンダとともに、ロードレース世界選手権(Motorcycle Grand Prix)に参戦。

1961年になると、10戦全勝と出場した全てのグランプリで勝利し、日本人初の世界グランプリ優勝(250cc)を果たします。その際の相棒は、ホンダRC162。当時の一般的なバイクが24馬力だったころに45馬力以上出せるとされ、ハイスペックなマシンも優勝の原動力になったはずです。

国内トップライダーとして地位を確立し、さらに躍進を遂げると思われたところで、1963年のマン島TTレース第3戦で大事故を起こしてしまいます。意識不明の重体で、命が危ぶまれるほどのものでした。幸い、奇跡的にも一命はとりとめたものの、回復してからも速さを取り戻すことができず、新しい道へと進むことになります。

4輪モータースポーツへの転向

1964年、高橋国光は日産のワークスチームである追浜ワークスへ加入し、以後は4輪モータースポーツに主軸を移します。プロトタイプレーシングカーのテストなどを行いながら、レース参加を続け、優秀な成績で日本のトップドライバーへと駆け上っていきます。

しかし、初優勝に恵まれるまでは長く、1978年の38歳でJAFグランプリでタイトルを手にしました。以降も様々なレースへ参加して、59歳でも勝利した記録もあります。引退後は、監督としてチームを率いて、優勝も果たしています。

年を重ねても、レジェンドカップへの参加などで走りを見せ続ける高橋国光は、間違いなく日本を代表するレジェンドライダーであり、レジェンドドライバーです。