ケーシー・ストーナー
ケーシー・ストーナーの経歴
オーストラリアのニューサウスウェールズ州に生まれたケーシー・ストーナーは、幼少期からダートトラックレースでその才能を開花させました。国内で敵なしの状態となった彼は、より高いレベルのレース環境を求めて、家族とともに十代でイギリスへと渡ります。
資金難やホームシックといった困難を乗り越えながら、スペイン選手権やイギリス選手権で実績を積み上げ、2002年に世界グランプリへのフル参戦を果たしました。
下位クラス時代は速さはあるものの転倒も多い「荒削りなライダー」という評価を受けることもありましたが、2006年に最高峰MotoGPクラスへ昇格すると、その評価は一変します。 翌2007年、ドゥカティ・ワークスチームに移籍したことが彼の運命を決定づけました。
当時、ドゥカティのマシンはエンジンパワーこそ強大ですが、ハンドリングが難しく、誰もが乗りこなせる代物ではありませんでした。
しかしストーナーは、その暴れ馬を見事に手なずけ、移籍初年度にして圧倒的な強さで年間チャンピオンを獲得します。これはドゥカティにとっても悲願のタイトルでした。その後、2011年にはレプソル・ホンダへ移籍し、マシンのメーカーが変わっても即座に速さを発揮して2度目の王座に就きました。
2012年、慢性疲労症候群やレース界の政治的な側面への嫌悪感などを理由に、27歳という絶頂期にありながら引退を表明し、世界中のファンに衝撃を与えました。
ケーシー・ストーナーの人物像
彼は、現代のプロスポーツ選手に求められるメディア対応やスポンサーへの配慮、パドック内での政治的な駆け引きを極端に嫌ったことでも知られています。彼が求めたのは名声や富ではなく、純粋に「バイクで誰よりも速く走ること」ただそれだけでした。
そのため、華やかなエンターテイナー性を持ち味とするバレンティーノ・ロッシとは対照的な存在として描かれることが多く、時にはヒール(悪役)のような扱いを受けることもありました。しかし、その媚びない姿勢こそが、真のレーサーとしての純粋さを際立たせていたとも言えます。
プライベートでは家族を何よりも大切にし、釣りをこよなく愛する素朴な青年でした。サーキットを離れれば穏やかな表情を見せる一方で、ひとたびヘルメットを被れば、誰よりも攻撃的な走りに変貌します。特に、電子制御技術が発展途上だった時代に、人間業とは思えないスロットルコントロールとリアブレーキ操作でマシンをねじ伏せるスタイルは圧巻でした。
トラクションコントロールに頼らず、自らの感覚だけでリアタイヤをスライドさせながらコーナーを立ち上がっていく姿は、多くのエンジニアやライバルたちから「天才」と称賛されました。
ケーシー・ストーナーのおもな成績
彼のキャリアにおける最大の功績は、やはり2007年の圧倒的なタイトル獲得に尽きます。シーズン10勝を挙げ、ポイントランキング2位のダニ・ペドロサに100ポイント以上の大差をつけての戴冠でした。
ドゥカティという個性の強いマシンと、ブリヂストンタイヤ、そしてストーナーの才能が完全に噛み合ったこのシーズンは、MotoGPの歴史における特異点として語り継がれています。また、ホンダ移籍初年度の2011年にもシーズン10勝を挙げており、異なるメーカーのマシンでタイトルを獲得した数少ないライダーの一人となりました。
MotoGPクラス通算38勝、ポールポジション43回という数字も素晴らしいですが、記録以上に記憶に残るのが彼の予選での速さです。セッション開始直後からトップタイムを叩き出し、ライバルたちの戦意を喪失させるような走りを見せつけました。
引退後もテストライダーとして現行マシンに乗る機会がありましたが、ブランクを感じさせないタイムを記録し、現役ライダーたちを驚愕させたというエピソードも残っています。まさに「速さ」という一点において、他の追随を許さない伝説的なライダーでした。
